精神科入院〜閉鎖病棟 隔離室の話〜
初めまして、皆さんは生活してる上で「閉鎖病棟」なんて、耳馴染みのない言葉だと思います、それかウェブ上で“閉鎖病棟”と検索してでてきたページがここかもしれないので、耳馴染みのある方と耳馴染みの無い方両者がここのページを見るかもしれないのでわかりやすく書いていきたいと思います。
まず私のプロフィールを
高校三年生で自傷行為と発達障害の疑いで入院してます、精神科入院は中学一年生の頃から。
簡単に言うとこんな感じです。
まず私が精神科に入院し始めたのは中学一年生の頃、小児科のこころの診療科にかかってた頃からです青春のひと時を私は精神科という閉鎖された空間で過ごしてきました。
高校に進学して入院から卒業したと思ったら、また新しい病院での入院生活が始まったのです。
ですが、ずっと入院してた訳では無いのでまたその話は後ほど…
このブログではこころの診療科の話ではなく、ゴリゴリの精神科病棟の日々の生活の記録をと思って開設しました。なので今入院しているここの病棟の話をできるだけ毎日綴っていきたいと思います。
ここの病棟に入院するのは4回目で入退院を繰り返しています。
1回目は家族がこりゃやばいなと思い医療保護入院(医療保護入院)
3回目も自傷行為が辞められずまた入院(任意入院)
4回目の今回は家族と合わなすぎてストレスが爆発し家族に伝えたら即入院(学校の先生に“そこ”は託児所じゃないんだから…お母さんも…ねぇ?(^_^;)と言われて爆笑しました。笑える位の心の余裕です)(任意入院)
最初に医療保護入院で“ぶち込まれた”とき、最初家で学校に行こうとシャワーを浴びてドライヤーをかけているところ無理やり弟と父親に抱えられ知り合いの人が運転する車でがっちりガードされ、最初に母が入院してた〇〇病院に(これから〇〇病院とします)
〇〇病院は病棟の手前に外来がある形の病院で外来を通らないと病棟にはいけないような形になっています。
そこのロビーでパニックになった私は泣いて動きませんでした「〇〇先生が来たよ?話しよう?」と言われても断固として動きませんでした、そしたら6人くらいの看護師さんたちが来て私をひょいと抱えあげ1.2.1.2と隔離室へ連れてかれました。
その時は周りを見なかったけど、1階の開放病棟を通って隔離室へ連れてかれました(みんな面白がってみてたと思います)
隔離室の中は牢屋みたいで、和式トイレの流すところがないトイレ(定期的に来る看護師さんが外から流す)少し上がるようになってる木の板があるだけで何も無い空間でした。
私はその時、格子の外にいる父親に向かっていろいろな暴言を吐いたのだけ覚えていますぼーっとして何を言ったか覚えてないのですがなにかひどいことをたくさん言っていました。
私はぼーっとしてきたので来た看護師さんに布団はないのか?と布団を出してもらいそのペラペラの布団で寝ました。
隔離室にいたのはほんの数時間で次の日の昼間にはもう外に出ました。
壁に
すべてを受け入れる
と書いてあったのを覚えています、
ここに入る人たちにかけてる事…
それから私は閉鎖病棟に移されました。
(数日間は隔離室に籍?は置いてあっていつでも帰らせられるんだぞと優しく言われました)初めての閉鎖病棟は知らない人だらけでしかもやばい人だらけで泣いたのを覚えています。ずっと泣いてたので看護師さんに怒られました。
閉鎖病棟も数日しかいなくて、あとから入ってきた人のベッドがないからと言われ開放病棟に移されました(今度はちゃんと籍“ネームプレート”も開放病棟に移されてました)
そこから2ヶ月くらい入院してたのですが、他の患者さんとうまくいかなくて泣いたりサバサバとした看護師さんに言われた一言で落ち込んで泣いたり、たくさん泣きましたがなんとか退院しました。
2回目と3回目の入院は同じ感じ、何ヶ月が入院してうまく先生のいう課題をクリアして退院もう3回目ともなると慣れて簡単に退院をしました。
4回目の入院、今回は任意入院なので初めから開放病棟、閉鎖病棟とはちょっと違うそんな開放病棟の日々を。
拙い文ですがよろしくお願いします。